けんれいもんいん【建礼門院】 (1155〜1213)高倉天皇(たかくらてんのう)の中宮(ちゅうぐう)。平清盛(たいらのきよもり)の次女で,名は徳子(とくこ)。17歳(さい)で中宮(ちゅうぐう)となり,天皇(てんのう)の退位(たいい)とともに建礼門院(けんれいもんいん)とよばれた。平氏(へいし)滅亡(めつぼう)のとき(1185年),子の安徳天皇(あんとくてんのう)とともに壇ノ浦(だんのうら)に身を投げたがとらえられ,のち尼(あま)(仏(ほとけ)に仕える女性(じょせい))になって,京都(きょうと)の北はずれ,大原(おおはら)の寂光院(じゃっこういん)で一生を終わった。