(1880〜1950)大正・昭和時代の軍人。第41代内閣総理大臣。山形県生まれ。1910(明治43)年,陸軍大学校卒業。情報将校として満州事変に深く関わり,関東軍参謀長,朝鮮軍司令官などを歴任。38年,予備役。42年,朝鮮総督。44年7月,東条英機内閣が倒れるが,後継首相となる陸軍首脳が見あたらず,小磯におはちが回ってくるかたちで内閣総理大臣に就任。しかし長く閑職にあって戦局,国内情勢にも暗く,ただ「一億総武装,本土決戦」をさけぶばかりであった。45年4月,沖縄戦のさなかに総辞職。戦後,極東国際軍事裁判(東京裁判)でA級戦犯として終身刑の判決をうけ,服役中に病死。