*こうごのうみんせんそう【甲午農民戦争】 李(り)朝末(まつ)の1894年,朝鮮(ちょうせん)南部を中心におきた,悪政(あくせい)と外国の侵略(しんりゃく)に対する農民(のうみん)の戦(たたか)い。東学党(とうがくとう)の乱(らん)ともいう。宗教団体(しゅうきょうだんたい)の東学党は,西洋諸国(しょこく)の侵入(しんにゅう)に反対していたが,1894年2月,幹部(かんぶ)の全準(チョンポンジュン)は全羅道(チョルラド)で農民(のうみん)をひきいて蜂起(ほうき)。5月に全州を占領(せんりょう),李(り)朝と和約(わやく)をむすび,全羅道(チョルラド)で政治改革(せいじかいかく)にあたった。しかし,李(り)朝の要請(ようせい)で清(しん)が鎮圧(ちんあつ)の兵(へい)を送り,さらに日本も派兵(はへい)して日清戦争(にっしんせんそう)がおこると,日本軍(ぐん)に対して戦闘(せんとう)。李(り)朝と連合(れんごう)した日本軍(ぐん)にうちやぶられた。