(1547?〜1624)豊臣秀吉の正室。一般には「ねね」の名で知られる。尾張国(今の愛知県西部)に生まれ,1561年,織田信長の家臣・木下藤吉郎(豊臣秀吉)と結婚。夫の立身出世を支え,織田信長からも教養や才能,婦徳を高く評価された。1585年,秀吉の関白就任により北政所と称され,秀吉の政権下では大きな発言力を持っていた。自身はキリシタンではなかったが,イエズス会の宣教師たちには何かと便宜を図り,人格者として信頼されていた。秀吉の死後,1603年,仏門に入り高台院と称した。豊臣家が亡んだ後も,ねねと徳川家との関係は良好だったと伝えられている。