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*こうたいおう【好太王】

(374〜412)朝鮮(ちょうせん高句麗(コグリョの第19代の王(在位(ざいい391〜412)。広開土王(こうかいどおうともいう。南下して百済(ペクチェ(め,404〜407年にかけて百済救済(ペクチェきゅうさいの日本(ぐんをやぶって,高句麗発展(コグリョはってん基礎(きそをきずいた。

コーチ

現在(げんざいの中国吉林省(チーリンしょう南端(なんたんの地に,好太王(こうたいおう業績(ぎょうせきをたたえた石碑(せきひがある。高さ6m,(やく1800字の文字を(きざんで王の(はかに立てられ,重要(じゅうよう歴史資料(れきししりょうとなっている。

史料

好太王(こうたいおう碑文(ひぶん内容(ないよう

(上(りゃく百済(ペクチェ新羅(シルラは元来,わが高句麗(コグリョ属民(ぞくみんとして,ひさしく貢物(みつぎものを持ってきていた。ところが391年に,(が海をこえて襲来(しゅうらいし,百済(ペクチェ新羅(シルラをやぶって,(属民(ぞくみんとした。そこで好太王(こうたいおうは,みずから水軍(すいぐんをひきいて百済(ペクチェ(め,多くの(しろ占領(せんりょうした。百済(ペクチェ降伏(こうふくし,男女の奴婢千人(ぬひせんにんと美しい(ぬのをさしだして,「これからはあなたの奴隷(どれいになります。」とちかった。……ところが399年,百済(ペクチェはさきの誓約(せいやくをやぶって(と通じているというので,王は平壌(ピョンヤン近くにまで……。(下略(げりゃく

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