*こくふうぶんか【国風文化】 平安時代(へいあんじだい)の中期(ちゅうき)から後期(こうき)にかけて発達(はったつ)した,日本(にほん)の風土(ふうど)や生活(せいかつ)にあった貴族(きぞく)文化(ぶんか)。 国風(こくふう)文化(ぶんか)のおこり 平安時代(へいあんじだい)の初期(しょき)は奈良時代(ならじだい)と同(おな)じように,唐(とう)(中国(ちゅうごく))風(ふう)の文化(ぶんか)がさかんであったが,9世紀(せいき)末(まつ)に遣唐使(けんとうし)が廃止(はいし)され,大陸(たいりく)文化(ぶんか)の影響(えいきょう)が少(すく)なくなると,しだいに日本人(にほんじん)の生活(せいかつ)や考(かんが)えにねざした文化(ぶんか)(国風(こくふう)文化(ぶんか))が形成(けいせい)されていった。とくに仮名(かな)文字(もじ)の発明(はつめい)で国文学(こくぶんがく)が発展(はってん),また,仏教(ぶっきょう)では末法(まっぽう)思想(しそう)が広(ひろ)まるにつれ,浄土教(じょうどきょう)の信仰(しんこう)がさかんになった。 文化(ぶんか)の内容(ないよう) (1)文学(ぶんがく)…9世紀(せいき)の末(すえ)ごろ平仮名(ひらがな)・片仮名(かたかな)が発明(はつめい)されると,多(おお)くの人々(ひとびと)に表現(ひょうげん)の自由(じゆう)をあたえ,とくに宮廷(きゅうてい)の女性(じょせい)作家(さっか)の活躍(かつやく)が目立(めだ)った。紫式部(むらさきしきぶ)が『源氏(げんじ)物語(ものがたり)』を,清少納言(せいしょうなごん)が『枕草子(まくらのそうし)』を書(か)いた。また漢詩(かんし)にかわって和歌(わか)がさかんになり,紀(きの)貫之(つらゆき)らによって『古今和歌集(こきんわかしゅう)』がつくられた。また,同(おな)じ紀(きの)貫之(つらゆき)が仮名(かな)で『土佐日記(とさにっき)』を書(か)いた。 (2)宗教(しゅうきょう)…最澄(さいちょう)や空海(くうかい)の天台宗(てんだいしゅう)や真言宗(しんごんしゅう)は,しだいに新(しん)仏教(ぶっきょう)としての魅力(みりょく)をうしない,政治(せいじ)もみだれてきた10世紀(せいき)中(なか)ごろから,阿弥陀仏(あみだぶつ)の極楽浄土(ごくらくじょうど)への往生(おうじょう)を説(と)く浄土教(じょうどきょう)が,空也(こうや)や源信(げんしん)によって広(ひろ)められ,貴族(きぞく)はもとより,庶民(しょみん)の間(あいだ)にもさかんになった。 (3)美術(びじゅつ)…彫刻(ちょうこく)は,寄木造(よせぎづくり)が多(おお)くなり,平等院(びょうどういん)の阿弥陀(あみだ)如来像(にょらいぞう)(定朝(じょうちょう)作(さく))に代表(だいひょう)される浄土教(じょうどきょう)関係(かんけい)の仏像(ぶつぞう)がさかんにつくられた。絵画(かいが)では大和絵(やまとえ)がおこり,とくに「信貴山(しぎさん)縁起(えんぎ)絵巻(えまき)」「源氏物語絵巻(げんじものがたりえまき)」などの絵巻物(えまきもの)にすぐれた作品(さくひん)があらわれた。 (4)生活(せいかつ)…貴族(きぞく)たちは美(うつく)しい庭園(ていえん)をもつ寝殿(しんでん)造(つくり)とよばれる家(いえ)に住(す)み,服装(ふくそう)も国風(こくふう)化(か)が進(すす)んで,正装(せいそう)には男子(だんし)は衣冠(いかん)束帯(そくたい),女子(じょし)は十二単(じゅうにひとえ)を着(き)ていた。