**こむらじゅたろう 【小村寿太郎 】 (1855〜1911)明治(めいじ)時代の外交官(がいこうかん)。飫肥藩(おびはん)(宮崎(みやざき)県)の出身。第1次桂内閣(かつらないかく)の外務大臣(がいむだいじん)として日英同盟(にちえいどうめい)をむすび(1902年),日露戦争(にちろせんそう)では講和会議(こうわかいぎ)の全権(ぜんけん)となってポーツマス条約(じょうやく)に調印(ちょういん)(1905年)。その後,イギリス駐在(ちゅうざい)公使をへて第2次桂内閣(かつらないかく)の外務大臣(がいむだいじん)となり,1910(明治(めいじ)43)年に韓国併合(かんこくへいごう)を行って朝鮮(ちょうせん)を日本の植民(しょくみん)地とした。ついで1911年には関税(かんぜい)自主権(けん)の回復(かいふく)に成功(せいこう)し,念願(ねんがん)の条約改正(じょうやくかいせい)を実現(じつげん)した。コーチ 陸奥宗光(むつむねみつ)とならんで,条約改正交渉(じょうやくかいせいこうしょう)の立て役者。⇒条約改正(じょうやくかいせい)