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*こめそうどう【米騒動】

1918(大正7)年,米価(べいか(上がりが原因(げんいんでおこった全国的(ぜんこくてき民衆(みんしゅう暴動(ぼうどう。第一次世界大戦(たいせんによって日本は好景気(こうけいきにわき,大もうけした成金(なりきんがでる反面,物価(ぶっかもうなぎのぼりに上昇(じょうしょうしたため,労働(ろうどう者の生活は苦しくなった。1918年には,シベリア出兵(しゅっぺいなどで政府(せいふが米を買いいれ,米商人の買いしめや売りおしみで米価(べいか戦前(せんぜんの4倍にもなった。1918年7月,富山(とやま魚津(うおづ漁村(ぎょそん主婦(しゅふたちはたまりかねて米屋におしかけ,安売りを要求(ようきゅうした。これをきっかけに騒動(そうどうはたちまち全国に広がり,各地(かくち群衆(ぐんしゅうが米商人や大商人などをおそう暴動(ぼうどうが2か月近くもつづいた。政府(せいふ警察(けいさつ軍隊(ぐんたいを出動させ,安い外国米を輸入(ゆにゅうするなどして騒動(そうどうをしずめた。

コーチ

騒動(そうどう寺内内閣(てらうちないかくはたおれ,代わって政友(せいゆう会の原敬(はらたかしを首相とする本格的(ほんかくてき政党内閣(せいとうないかく誕生(たんじょうした。

年代暗記

原敬内閣(はらたかしないかく…人食いは(1918)ぐれてはらが立つ

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