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さいたま【埼玉(県)】

県名の由来:北部の行田(ぎょうだ埼玉(さきたまに6〜7世紀(せいきの大古墳群(こふんぐんがある。東日本最大(さいだい古墳群(こふんぐんで,武蔵国造(むさしくにのみやつこ居館(きょかんがあったと考えられている。この歴史的(れきしてきな地名から県名がつけられた。

県庁所在地

さいたま市

県の面積

3798km2

県の人口

719万人

県の代表的な伝統工芸品と祭り

〔伝統工芸〕
江戸木目込(えどきめこみ人形 ○春日部桐箪笥(かすかべきりたんす

〔祭り〕
秩父夜祭(ちちぶよまつり秩父(ちちぶ市,12月2〜3日)

位置(いち・地形・気候(きこう

埼玉(さいたま県は,関東(かんとう地方の中央部に位置(いちする内陸(ないりく県である。西部には秩父(ちちぶ山地が広がり,東部は関東(かんとう平野である。秩父(ちちぶ山地から流れ出る(あら川は,秩父盆地(ちちぶぼんちを通り,途中に扇状(せんじょう地をつくって南東に流れ,東京湾(とうきょうわんに注いでいる。関東(かんとう平野は,西から東に向かって武蔵野(むさしの大宮(おおみや台地・利根(とね流域(りゅういきと,しだいに(ひくくなり,東の県境(けんざかい近くには古利根(ふるとね川・元荒(もとあら川などが流れている。

気候(きこうは,夏に降水量(こうすいりょうが多く,冬に乾燥(かんそうした晴天がつづく太平洋(がわ気候(きこうだが,山間部では,気温の(が大きい内陸型(ないりくがた気候(きこう(しめす。

歴史(れきし

埼玉(さいたま県は,昔の武蔵(むさし国(現在(げんざい埼玉(さいたま県と東京(とうきょう都と神奈川(かながわ県東部とあわせた地域(ちいき)の一部にあたる。古くから開けた地域(ちいきで,奈良(なら時代には朝鮮(ちょうせんからの渡来(とらい人が養蚕(ようさんなどの大陸(たいりく文化をつたえた。

鎌倉(かまくら時代には畠山氏(はたけやまし熊谷氏(くまがいしなどが大きな勢力(せいりょくをもち,戦国(せんごく時代には北条氏(ほうじょうし支配(しはいした。江戸(えど時代には,川越(かわごえ岩槻(いわつき(現在のさいたま市)・(おし現在(げんざい行田(ぎょうだ市)などの小藩(しょうはん直轄(ちょっかつ地や旗本領(はたもとりょうに分けられ,川越(かわごえなどの城下町(じょうかまちがさかえた。また,利根(とね川の治水(ちすい工事,東部低地(ていちの開発が進められ,奥州街道(おうしゅうかいどう中山道(なかせんどう整備(せいびされて宿場町(しゅくばまち発達(はったつした。明治維新(めいじいしん後,いくつもの県がでたが,1876(明治(めいじ9)年に,現在(げんざい埼玉(さいたま県が成立(せいりつした。

産業(さんぎょう

平地が多く,大消費(しょうひ地東京に近いので,野菜(やさいを中心とする近郊(きんこう農業がさかんで,農業生産額(せいさんがく(やく48%を野菜(やさいがしめる。ホウレンソウ・ネギ・カブの生産量(せいさんりょうは全国2(,ブロッコリーは全国3(である(2010年)。サトイモ・エダマメ・ナスなどの生産(せいさんも多い。東部の低地(ていちでは稲作(いなさく,北部では畜産(ちくさんもさかんである。狭山丘陵(さやまきゅうりょう一帯(いったいでは茶が栽培(さいばいされる。

埼玉(さいたま県の工業生産額(せいさんがくは全国7((2009年),県内各地(かくちにさまざまな工業があるが,川口市の各種機械(かくしゅきかい狭山(さやま市や上尾(あげお市の輸送用機械(ゆそうようきかい深谷(ふかや市の電気機器(ききなどの機械(きかい工業が大きな割合(わりあいをしめる。ほかに,さいたま市に化学工業,新座(にいざ市に出版(しゅっぱん印刷(いんさつ業,さいたま市や戸田市に食料(しょくりょう品工業がある。また,秩父(ちちぶ地方では石灰岩(せっかいがんが多く産出(さんしゅつされ,熊谷(くまがや市などでセメント工業が発達(はったつしている。

東京のベッドタウン埼玉(さいたま

埼玉(さいたま県の人口は,719万人(2011年)で,東京都(とうきょうと大阪府(おおさかふ神奈川(かながわ県,愛知(あいち県についで5(である。市の数は41もあり,全国1(となっている。

1950年代後半から,日本の工業はめざましく発展(はってんし,日本は高度経済成長(けいざいせいちょうをとげていったが,その過程(かていで,農村部から都市部への人口の集中が進んだ。

東京都(とうきょうととその周辺(しゅうへんへの人口の集中はとくにはげしく,埼玉(さいたま県では,1955年に(やく225万人だった人口が,20年後の1975年には2倍以上(いじょう(やく480万人になった。農村だった地域(ちいきは流入する人々の住宅(じゅうたく地となって,都市化が進み,新しい市が次々に誕生(たんじょうしていった。新しく埼玉県民(さいたまけんみんとなった人々の多くは東京(とうきょう通勤(つうきんする人々だったが,近年,埼玉(さいたま県の工業もめざましく発展(はってんしており,それがまた人口の流入をもたらしている。

このような県の拡大(かくだいにあわせて,2001(平成(へいせい13)年,県庁所在(けんちょうしょざい地だった浦和(うらわ市と隣接(りんせつする大宮(おおみや市・与野(よの市が合併(がっぺいしてさいたま市が誕生(たんじょうし,2003年4月,政令指定都市(せいれいしていとしとなる。県内にはほかにも合併(がっぺいの動きがあり,新しい県づくりが進んでいる。

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