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さいちょう【最澄】

(767〜822)平安時代初期(しょき(そう。日本の天台宗(てんだいしゅう開祖(かいそ近江(おうみ国(滋賀(しが県)に生まれ,父は中国からの渡来(とらい人の子孫(しそん。19(さいのときに東大寺(とうだいじで正式の(そうとなったが,当時の仏教(ぶっきょうのあり方に不満(ふまんをいだき,故郷(こきょうに帰って比叡山寺(ひえいざんじ(のちの延暦寺(えんりゃくじ)をたてて12年の間,1人で修行(しゅぎょうした。さらに深く仏教(ぶっきょうを学ぶため,804年に遣唐使(けんとうしにしたがって(とう(中国)にわたり,天台(しゅうの教えを受けて,翌年(よくねん帰国。桓武天皇(かんむてんのう保護(ほごを受けて,新しい宗派(しゅうはをおこした。◇死後,朝廷(ちょうていから伝教大師(でんぎょうだいしとおくり名された。

コーチ

最澄(さいちょうは,学問と修行(しゅぎょうによって天台宗(てんだいしゅう発展(はってんをはかったが,比叡山(ひえいざん戒壇(かいだん(正式の(そうになるためのきまりをさずける特別(とくべつ(だん)をつくることは,奈良仏教(ならぶっきょうの反対で生前にはみとめられなかった。

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