(1858〜1936)明治〜昭和時代の軍人・政治家,第30代内閣総理大臣。水沢藩(岩手県)の貧しい武士の子に生まれる。苦学の末,14歳で上京,海軍兵学校に入り,軍人になる。将校,艦長,海軍次官をへて,1906(明治39)年に第1次西園寺公望内閣で海軍大臣に就任,以降,1914(大正3)年まで5つの内閣で海相を歴任し,辞任後は朝鮮総督などを務める。1932(昭和7)年,五・一五事件で犬養毅内閣が倒れたため,軍部抑制と国際関係の回復を期待され内閣総理大臣に指名される。政党・軍人・官僚を集めた「挙国一致内閣」を組閣したが,閣内不一致のまま満州国承認,国際連盟脱退などファシズムへの道を歩む結果になった。34年,総辞職。35年,宮中に入り内大臣になるが,36年,二・二六事件によって暗殺される。