*さつまはん【薩摩藩】 江戸(えど)時代,薩摩(さつま)国・大隅(おおすみ)国(鹿児島(かごしま)県)2国と日向(ひゅうが)国(宮崎(みやざき)県)諸県郡(もろかたぐん),合わせて77万石(ごく)を領(りょう)した島津氏(しまづし)の藩(はん)。外様(とざま)大名島津氏(しまづし)は鎌倉(かまくら)時代以来守護(いらいしゅご)をつとめ,戦国(せんごく)時代には九州の大部分を支配(しはい)した。しかし,豊臣秀吉(とよとみひでよし)の九州征討(せいとう)にやぶれ,関ヶ原(せきがはら)の戦(たたか)いでは西軍(ぐん)に属(ぞく)してやぶれたが,徳川家康(とくがわいえやす)から領地(りょうち)はそのままみとめられ,のち琉球(りゅうきゅう)(沖縄(おきなわ)県)をも支配(しはい)した。◇鹿児島藩(かごしまはん)ともいう。コーチ 幕末(ばくまつ),藩(はん)の下級武士集団(かきゅうぶししゅうだん)をひきいた大久保利通(おおくぼとしみち)や西郷隆盛(さいごうたかもり)らが出て倒幕(とうばく)運動を進め,明治(めいじ)新政府(せいふ)の中心となった。