しこくかんたいしものせきほうげきじけん【四国艦隊下関砲撃事件】 幕末(ばくまつ),1864年8月,イギリス・フランス・オランダ・アメリカ合衆国(がっしゅうこく)4国の連合艦隊(れんごうかんたい)が攘夷派(じょういは)の拠点(きょてん)であった長州藩(ちょうしゅうはん)(山口(やまぐち)県)制圧(せいあつ)のため,下関(しものせき)を砲撃(ほうげき)し占領(せんりょう)した事件(じけん)。馬関戦争(ばかんせんそう)・下関砲撃事件(しものせきほうげきじけん)・下関戦争(しものせきせんそう)ともいう。前年,長州藩(ちょうしゅうはん)が下関(しものせき)で外国船を砲撃(ほうげき)した事件(じけん)の報復(ほうふく)として行われたもので,幕府(ばくふ)の第1回長州出兵(ちょうしゅうしゅっぺい)と重なった。コーチ この敗戦(はいせん)によって長州藩(ちょうしゅうはん)は軍備(ぐんび)の西洋化を進め,攘夷(じょうい)の方針(ほうしん)をすてて倒幕(とうばく)の道をとることになる。