北条氏が執権として,鎌倉幕府の実権をにぎって行った政治。
〔執権政治のはじまり〕
はじめは
政所の
長官を
執権とよんだが,のちに
侍所の
長官もかねるようになり,
幕府政治の中心となった。
源頼朝の死後,
幕府の
実権は,
頼朝の
妻政子と,その父
北条時政の手にうつった。
北条氏は有力な
御家人をつぎつぎにたおし,
源氏の
将軍が3代で
絶えたあとは,
京都から形ばかりの
将軍をむかえ,代々
執権の
地位を
独占して
政治を行った。
コーチ
執権政治をめざす
北条氏のはかりごとによって,
源氏の第2代
将軍頼家や第3代
将軍実朝が
暗殺された。
〔執権政治の確立〕
北条氏で
初代の
執権になったのは
時政で,2代めの
北条義時は
承久の
乱(1221年)に勝って
朝廷の力をおさえ,
執権政治の
基礎をきずいた。3代めの
北条泰時(
最初の
武家法の
御成敗式目を
制定)や5代めの
時頼(
引付衆をおいて
御家人の
裁判を
改善)のころ,
執権政治が
確立した。しかし,8代めの
時宗のときに
元寇がおこり,
以後,
財政的に
苦しくなった
幕府の力はおとろえを見せ,1333年の
鎌倉幕府滅亡によって,
執権政治が終わった。