しものせきじょうやく【下関条約】 1895(明治(めいじ)28)年,下関(しものせき)(山口(やまぐち)県)で調印(ちょういん)された日清戦争(にっしんせんそう)の講和条約(こうわじょうやく)。日本側全権(がわぜんけん)の伊藤博文(いとうひろぶみ)・陸奥宗光(むつむねみつ),清(しん)国側全権(がわぜんけん)の李鴻章(リホンチャン)との間で調印(ちょういん)された。内容(ないよう)は,(1)朝鮮(ちょうせん)の独立(どくりつ)をみとめ,(2)清(しん)国は日本に,台湾(たいわん)・遼東(リヤオトン)半島・澎湖(ポンフー)諸島の割譲(かつじょう)を,(3)また,賠償金(ばいしょうきん)2億両(おくテール)(約(やく)3億(おく)1000万円)を支払(しはら)う,などであった。コーチ 遼東(リヤオトン)半島はこのあと,ロシアなどの三国干渉(さんごくかんしょう)で返還(へんかん)することになる。年代暗記 下関条約(しものせきじょうやく)…違約(いやく)ご(1895)めんと下関(しものせき)