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しゅいんせんぼうえき【朱印船貿易】

朱印状(しゅいんじょうという渡航許可証(とこうきょかしょうをもつ船が,東南アジアで行った貿易(ぼうえき朱印(しゅいん貿易(ぼうえき豊臣秀吉(とよとみひでよしのとき本格的(ほんかくてきに始まり,徳川家康(とくがわいえやすのころ最盛(さいせい期をむかえて鎖国(さこくまでつづいた。朱印(しゅいん船を送った船主は,島津(しまづ鍋島(なべしまなどの九州の大名や,大阪(おおさか末吉(すえよし京都(きょうと角倉(すみのくらのほか,(さかい博多(はかた長崎(ながさきなどの大商人が多かった。朱印(しゅいん船はシャム(タイ)・ルソン(フィリピン)など東南アジア各地(かくち派遣(はけんされ,銀・(どう刀剣(とうけん硫黄(いおう・しょうのうなどを輸出(ゆしゅつし,生糸(きいと絹織物(きぬおりもの綿布(めんぷ・スズ・皮革(ひかくなどを輸入(ゆにゅうした。◇朱印(しゅいん貿易(ぼうえき発展(はってんすると,商人・浪人(ろうにん・キリシタン(キリスト教の信徒(しんと)などで東南アジアに移住(いじゅうする者がふえ,各地(かくち日本町(にほんまちが生まれ,その多くは自治制(じちせいがとられた。

コーチ

1635年に日本人の海外渡航(とこうと帰国が禁止(きんしされ,朱印(しゅいん貿易(ぼうえきは終わった。

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