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しょうぎ【将棋】

9×9マスの(ばんに,2人の対局者(たいきょくしゃがそれぞれ20の((ごま配置(はいちし,交互(こうご(こま(うごかして(たたかわせ,相手(あいて王将(おうしょう((のない「とりこ」の状態(じょうたい(め)に(いこんだほうが(ちとなるゲーム。古代(こだいインドが発祥(はっしょう(といわれ,中国(ちゅうごくなど(ひがしアジアに(つたわったものが将棋(しょうぎ,ヨーロッパに(つたわったものがチェス(西洋将棋(せいようしょうぎ)になったといわれている。日本には奈良時代(ならじだいから平安時代(へいあんじだい(はじめのころに(つたわったとされ,平安時代(へいあんじだいには駒数(こますう36の小将棋(しょうしょうぎ平安将棋(へいあんしょうぎ),駒数(こますう68の大将棋(だいしょうぎ平安大将棋(へいあんだいしょうぎ)があり,南北朝時代(なんぼくちょうじだいには駒数(こますう92の中将棋(ちゅうしょうぎ(まれた。室町時代(むろまちじだい末期(まっきの16世紀(せいき前半(ぜんはん小将棋(しょうしょうぎ中将棋(ちゅうしょうぎ飛車(ひしゃ角行(かくぎょう(くわえた駒数(こますう40,(った(こまをふたたび使(つかえる現在(げんざいのかたちになった。戦国時代(せんごくじだいには専門棋士(せんもんきし(まれ,江戸幕府(えどばくふ将棋所(しょうぎどころ(もうけて保護(ほごし,大橋家(おおはしけをはじめ3(家元(いえもとにこれをつかさどらせた。名人(めいじん(のれるのは3(家元(いえもとだけで,民間(みんかん棋士(きしは「素人(しろうと」とよばれた。明治維新(めいじいしん以降(いこう一時衰退(いちじすいたいしたが,明治末(めいじまつ新聞(しんぶん将棋欄(しょうぎらん(もうけて復興(ふっこう民間棋士(みんかんきしから名人(めいじん誕生(たんじょうし,さらに1924(大正(たいしょう13)(ねん東京将棋連盟(とうきょうしょうぎれんめい現在(げんざい日本将棋連盟(にほんしょうぎれんめい)が発足(ほっそくし,プロ棋士(きし制度(せいどができた。以降(いこう名人位戦(めいじんいせんなどトーナメント方式(ほうしき競技(きょうぎ定着(ていちゃくし,現在(げんざいまでの隆盛(りゅうせいをほこっている。将棋(しょうぎはチェスなどとちがい,(った(こまをふたたび使(つかえるため,ゲームとしては複雑(ふくざつで,それだけに愛好者(あいこうしゃ(おおい。(ども(けに駒数(こまかず(らした将棋(しょうぎ動物将棋(どうぶつしょうぎ軍人将棋(ぐんじんしょうぎなどの将棋(しょうぎゲームなどもあり,また,(ばん(こま利用(りようしたはさみ将棋(しょうぎ(まわ将棋(しょうぎ将棋(しょうぎくずしなどの(あそ(かたもある。

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