しょうとくのち【正徳の治】 江戸(えど)時代の6代将軍(しょうぐん)徳川家宣(とくがわいえのぶ),7代将軍家継(しょうぐんいえつぐ)のもとで,新井白石(あらいはくせき)が中心になって行った文治政治(ぶんちせいじ)。1709年に開始。5代将軍綱吉(しょうぐんつなよし)の悪政(あくせい)でみだれた幕府(ばくふ)政治(せいじ)を儒教(じゅきょう)精神(せいしん)で改革(かいかく)しようとして,生類憐(しょうるいあわれ)みの令(れい)を廃止(はいし)し,貨幣(かへい)の質(しつ)をよくし,長崎貿易(ながさきぼうえき)を制限(せいげん)して金銀の流出をふせぐなどの政策(せいさく)がとられた。しかし,幕府政治(ばくふせいじ)の根本的(こんぽんてき)な改革(かいかく)にはいたらなかった。◇この名は当時の年号,正徳(しょうとく)(1711〜16年)に由来する。年代暗記 正徳(しょうとく)の治(ち)…人なれてく(1709)る文治政治(ぶんちせいじ)