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しん【清】

満州(まんしゅう(中国の東北区)を本拠(ほんきょとしていた女真(じょしん族(満州(まんしゅう人)がたてた,中国最後(さいごの王朝(1616〜1912)。

建国(けんこくと中国支配(しはい

1616年,ヌルハチ(太祖(たいそ)が女真(じょしん族を統一(とういつして,満州(まんしゅう後金(こうきんをたてた。1636年に(しんとあらため,1644年には(みん滅亡(めつぼうをきっかけに中国に侵入(しんにゅうし,都を北京(ペキンとし,支配民族(しはいみんぞく満州(まんしゅう人の八旗軍(はっきぐんを中心に,15年で全土を統一(とういつ。第4代の康煕帝(こうきてい在位(ざいい1661〜1722)から第6代の乾隆帝(けんりゅうてい在位(ざいい1735〜1795)までが全盛(ぜんせい期で,領土(りょうど勢力圏(せいりょくけんをあわせると東アジアのほぼ全域(ぜんいきにおよんだ。政治制度(せいじせいど(みんのものをうけつぎ,科挙(かきょ漢人(かんじんを登用し満州(まんしゅう人を要所(ようしょ配置(はいち。第5代雍正帝(ようせいていは,1732年に軍事(ぐんじ行政(ぎょうせい最高機関(さいこうきかんとして軍機処(ぐんきしょをもうけて,皇帝独裁(こうていどくさい補佐(ほささせ,強化した。

〔社会と文化〕

(しん朝では人口が1(おく人弱から4(おく人強まで増大(ぞうだいし,商工業がさかんとなって全国が1つの市場となり,銀の流通が広がった。(しん朝は異民族支配(いみんぞくしはい批判(ひはんする思想をとりしまる一方で,学者を優遇(ゆうぐうして『康煕字典(こうきじてん』『四庫全書(しこぜんしょ』などの(へんさんにあたらせた。

外圧(がいあつ内乱(ないらん

(しん朝はキリスト教を(きんじ,外国貿易(ぼうえき広東(コワントン特許(とっきょ商人にだけ許可(きょかしていたが,産業革命(さんぎょうかくめいをへたイギリスは自由な貿易(ぼうえき要求(ようきゅうし,アヘン戦争(せんそうとアロー戦争(せんそう(しん屈伏(くっぷくさせ,侵略(しんりゃくの足がかりを(た。この間,1851年からは太平天国(たいへいてんごく(らんが発生。危機(ききをのりこえるために西洋の技術(ぎじゅつ導入(どうにゅうする洋務(ようむ運動がおこるが,朝鮮(ちょうせん支配(しはいをめぐる日清戦争(にっしんせんそう敗北(はいぼくするなど,ほぼ中国全土が列強の勢力範囲(せいりょくはんいに色分けされるような状態(じょうたいにおちいり,1911年に辛亥革命(しんがいかくめいがおこって打倒(だとうされた。

年代暗記

(しんのおこり…八旗色々(はっきいろいろ(1616)後金(こうきん

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