**すぎたげんぱく【杉田玄白】 (1733〜1817)江戸(えど)時代中期の医師(いし)・蘭学(らんがく)者。若狭(わかさ)国(福井(ふくい)県)小浜藩医(おばまはんい)の子として江戸(えど)に生まれ,外科医であった父のすすめでオランダ医学を学んだ。1771年に江戸小塚原(えどこづかはら)で刑死体(けいしたい)の解剖(かいぼう)に立ちあい,もっていたオランダ語訳(ごやく)の解剖(かいぼう)書『ターヘル=アナトミア』との一致(いっち)に感激(かんげき)し,同書の翻訳(ほんやく)を決心。前野良沢(まえのりょうたく)らとおよそ4年をかけて翻訳(ほんやく)を終え,1774年,これを『解体新書(かいたいしんしょ)』として出版(しゅっぱん)した。◇翻訳(ほんやく)の苦心談は玄白(げんぱく)の著書(ちょしょ)『蘭学事始(らんがくことはじめ)』にくわしい。コーチ 『解体新書(かいたいしんしょ)』の出版(しゅっぱん)は,日本の近代医学の夜明けになった。