すぎはらちうね【杉原千畝】 (1900〜1986)昭和時代の外交官(がいこうかん)。岐阜(ぎふ)県に生まれる。1939(昭和14)年,リトアニア共和国(きょうわこく)の日本領事(りょうじ)館に領事(りょうじ)代理として赴任(ふにん)。翌年(よくねん)7月末(まつ),ドイツの迫害(はくがい)からのがれてアメリカ合衆国(がっしゅうこく)にわたろうとする大量(たいりょう)のユダヤ人が,日本を通過(つうか)するためのビザ(入国許可証(きょかしょう))をもとめて領事(りょうじ)館に殺到(さっとう)した。かれは外務省(がいむしょう)の指示(しじ)に反して独断(どくだん)でビザを発給(はっきゅう)し,約(やく)6000人のユダヤ人をすくった。◇1985(昭和60)年,イスラエル政府(せいふ)から「ヤド=バジェム賞(しょう)(諸国民(しょこくみん)の中の正義(せいぎ)の人賞(しょう))」がおくられた。