すずきかんたろう【鈴木貫太郎】 (1867〜1948)明治(めいじ)・大正・昭和時代の海軍軍人(かいぐんぐんじん)。太平洋戦争(せんそう)終戦(しゅうせん)時の総理大臣(そうりだいじん)。関宿(せきやど)(いまの千葉(ちば)県野田(のだ)市)藩士(はんし)の子として生まれる。海軍兵学校(かいぐんへいがっこう)を卒業(そつぎょう)後,日清(にっしん)・日露戦争(にちろせんそう)に従軍(じゅうぐん),のちドイツに駐在(ちゅうざい)する。1923(大正12)年海軍大将(かいぐんたいしょう)となり,連合艦隊司令長官(れんごうかんたいしれいちょうかん)・軍令(ぐんれい)部長・侍従(じじゅう)長などを歴任(れきにん)。侍従(じじゅう)長時代の1936(昭和11)年,二(に)・二六事件(にろくじけん)で襲(おそ)われ重症(じゅうしょう)を負う。1945(昭和20)年4月,総理大臣(そうりだいじん)の職(しょく)に就(つ)き,反対派(は)をおさえてポツダム宣言(せんげん)を受諾(じゅだく),太平洋戦争(せんそう)を終結(しゅうけつ)に導(みちび)いた。