スンウェン【孫文(そんぶん)】

(1866〜1925)中国,辛亥革命(しんがいかくめい)を指導(しどう)した革命(かくめい)家。号を中山(チュウシャン)という。

〔革命(かくめい)運動〕

 広東省(コワントンしょう)中山(チュウシャン)県のまずしい農家に生まれた。12歳(さい)で兄をたよってハワイにわたり,5年後に帰国して広州(コワンチョウ)・香港(ホンコン)で医学を学んだ。1894年,同志(どうし)と興中(きょうちゅう)会をつくって革命(かくめい)をめざし,各地(かくち)で武力闘争(ぶりょくとうそう)を計画し,失敗(しっぱい)と亡命(ぼうめい)をくりかえした。1905年,日本の東京(とうきょう)で中国革命同盟(かくめいどうめい)会を結成(けっせい),また運動の目標(もくひょう)として「民族(みんぞく)」「民権(みんけん)」「民生」の三民主義(さんみんしゅぎ)をかかげた。

〔辛亥革命以後(しんがいかくめいいご)〕

 1911年に辛亥革命(しんがいかくめい)がおこると帰国,翌年(よくねん)1月中華民国(ちゅうかみんこく)の臨時大総統(りんじだいそうとう)に就任(しゅうにん)。2月,清(しん)朝をたおすため軍閥(ぐんばつ)の袁世凱(ユワンシーカイ)に地位(ちい)をゆずったが,まもなく袁世凱の専制政治(せんせいせいじ)に反対する運動をおこし,失敗(しっぱい)して亡命(ぼうめい)。1919年の五・四運動のもりあがりを見てから,大衆的(たいしゅうてき)な運動をめざして中国国民党(こくみんとう)をつくり,中国共産党(きょうさんとう)と手をつないだ(国共(こっきょう)合作)。◇当時5億(おく)の中国民衆(みんしゅう)をまとめ,民族(みんぞく)を統一(とういつ)し,封建勢力(ほうけんせいりょく)をたおそうとしていたが,「革命(かくめい)いまだならず」の言葉をのこして病死した。南京(ナンキン)にある孫文(スンウェン)の墓(はか)は「中山陵(りょう)」とよばれ,参拝(さんぱい)者がたえることはない。

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