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*せいなんせんそう【西南戦争】

1877(明治(めいじ10)年,鹿児島(かごしま不平(ふへい士族(しぞくらが西郷隆盛(さいごうたかもりをもりたてておこした明治政府(めいじせいふに対する反乱(はんらん。西南の(えきともいう。そのころ鹿児島(かごしまでは反政府(せいふの動きが強かったが,征韓論(せいかんろんがやぶれて帰郷(ききょうした西郷(さいごうの開いた(学校が,その中心となった。西郷(さいごう(学校を中心とする士族(しぞくにおされて挙兵(きょへいし,熊本城(くまもとじょう(めた。しかし,徴兵令(ちょうへいれいによる軍隊(ぐんたいである政府軍(せいふぐん反撃(はんげきを受け,田原坂(たばるざかをはじめ次々と(たたかいにやぶれ,鹿児島(かごしま城山(しろやま(たたかいを最後(さいご西郷軍(さいごうぐん指導(しどう者は戦死(せんしまたは自殺(じさつ明治政府(めいじせいふに対する最大(さいだい反乱(はんらん鎮圧(ちんあつされた。

コーチ

 これ以後(いご,反政府(せいふ運動は武力(ぶりょくを用いない自由民権(みんけん運動へとかわっていった。

年代暗記

 西南戦争(せんそう…いやなな(1877)みだの薩摩兵(さつまへい

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