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*せきがはらのたたかい【関ヶ原の戦い】

1600年,美濃(みの国 (岐阜(ぎふ県)の関ヶ原(せきがはらで行われた徳川家康(とくがわいえやす(東(ぐん)と石田三成(いしだみつなり(西(ぐん)の(たたかい。豊臣秀吉(とよとみひでよしの死後,しだいに勢力(せいりょくをのばした徳川家康(とくがわいえやすをおさえようと,石田三成(いしだみつなりが西国の豊臣系(とよとみけいの大名(軍勢約(ぐんぜいやく8万)を集めて,家康(いえやすや反石田派(いしだはの大名(軍勢約(ぐんぜいやく10万)とたたかった。(たたかいは家康側(いえやすがわ勝利(しょうりに終わり,この(たたかいによって徳川氏(とくがわし覇権(はけん確立(かくりつした。◇戦後(せんご三成(みつなりはころされ,三成(みつなりに味方した多くの大名は国替(くにがえ・取りつぶしとなった。豊臣氏(とよとみし大阪付近(おおさかふきんの65万(ごく領地(りょうちとする1大名に転落した。このため,(ぞくに「天下分け目の(たたかい」という。

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