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たかはしこれきよ【高橋是清】

(1854〜1936)明治(めいじ・大正・昭和時代の財政家(ざいせいか政治家(せいじか。第20代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん江戸(えど絵師(えしの子に生まれ,仙台藩士(せんだいはんし養子(ようしとなる。幕末(ばくまつ,13(さいのとき仙台藩留学生(せんだいはんりゅうがくせいとしてアメリカに留学(りゅうがくするが,白人にだまされて奴隷(どれいに売られるという体験(たいけんをもつ。帰国後,役人,相場師(そうばし鉱山(こうざん経営(けいえいなどをへて1892(明治(めいじ25)年,日本銀行に入る。財政家(ざいせいかとして才能(さいのうをあらわし,副総裁(ふくそうさい総裁(そうさい歴任(れきにん日露戦争(にちろせんそう戦費調達(せんぴちょうたつのための外債募集(がいさいぼしゅうで大きな成功(せいこうをおさめた。1918(大正7)年,山本権兵衛(やまもとごんべえ内閣(ないかく大蔵大臣(おおくらだいじん就任(しゅうにん原敬(はらたかし内閣(ないかくでも蔵相(ぞうしょうをつとめたが,1921年,原首相の暗殺(あんさつをうけて,急きょ第20代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん就任(しゅうにん蔵相兼任(ぞうしょうけんにん)。原内閣(ないかく閣僚(かくりょうをすべて留任(りゅうにんさせた臨時内閣(りんじないかくで,翌年(よくねん7か月で閣内不統一(かくないふとういつ総辞職(そうじしょく。1927(昭和2)年,金融恐慌(きんゆうきょうこうがおきると田中義一(たなかぎいち総理大臣(そうりだいじん(われて70(さい大蔵大臣(おおくらだいじんにふたたび就任(しゅうにん。その後,犬養毅(いぬかいつよし斎藤実(さいとうまこと岡田啓介(おかだけいすけ各内閣(かくないかくでも蔵相(ぞうしょう(つとめたが,36年,(二六事件(にろくじけん暗殺(あんさつされた。総理大臣(そうりだいじんとしては任期(にんきはわずかだったが,7つの内閣(ないかく蔵相(ぞうしょう(つとめた財務(ざいむ金融(きんゆうのプロフェッショナルであった。

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