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*たかはまきょし【高浜虚子】

(1874〜1954)明治(めいじ・大正・昭和時代の俳人(はいじん愛媛(えひめ松山(まつやま市に生まれる。中学時代に友人の河東碧梧桐(かわひがしへきごとう(かいして正岡子規(まさおかしきを知り,俳句(はいくをこころざした。その後上京して正岡子規(まさおかしき師事(しじ子規(しきが始めた『ホトトギス』のあとをついで同名の俳句雑誌(はいくざっし主宰(しゅさいした。はじめは小説(しょうせつ専念(せんねんしたが,子規(しき没後(ぼつご碧梧桐(へきごとうが新傾向(けいこう俳句(はいくをおしすすめるのを心配して俳壇(はいだん復帰(ふっき自然(しぜん対象(たいしょう客観的(きゃっかんてきにえがく写生の手法(しゅほう提唱(ていしょうして伝統俳句(でんとうはいくの立場を守った。2万(をこえる俳句(はいくをのこし,代表句集(くしゅうに『虚子句集(きょしくしゅう』など。小説(しょうせつに『俳諧師(はいかいし』がある。1954(昭和29)年に文化勲章(くんしょうを受章。◇「遠山に日の当たりたる枯野(かれのかな」「流れ行く大根の葉の早さかな」

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