(1864〜1929)明治〜昭和時代の軍人・政治家,第26代内閣総理大臣。長州藩(山口県)の下級武士の家に生まれる。12歳で萩の乱に参加,幼いため罪を許された。陸軍士官学校,陸軍大学校に進み,軍人になる。日清戦争に従軍,日露戦争ではロシア留学の経験をいかし満州軍参謀として活躍。原敬・山本権兵衛内閣で陸軍大臣をつとめ,陸軍大将。1925(大正14)年,軍をしりぞき野党第1党の政友会総裁に就任。26(昭和2)年,若槻礼次郎内閣が総辞職すると,元老西園寺公望に推薦されて第26代内閣総理大臣に就任。対中国強行政策を進め,27年には山東に出兵。国内では治安維持法改正,特別高等警察制度の実施など社会主義・共産主義への弾圧を強めた。28年の張作霖爆殺事件をめぐって昭和天皇の信任を失い,29年7月,総辞職。その3か月後に心臓病で急死した。