*たなかしょうぞう【田中正造】 (1841〜1913)明治(めいじ)時代の政治(せいじ)家・社会運動家。栃木(とちぎ)県の生まれ。自由民権(みんけん)運動で活躍(かつやく)し,1890(明治(めいじ)23)年の第1回総選挙(そうせんきょ)で衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)に当選(とうせん)(以後(いご)6回当選(とうせん))。第2回帝国議会(ていこくぎかい)で足尾銅山(あしおどうざん)鉱毒事件(こうどくじけん)の解決(かいけつ)を政府(せいふ)にせまったのをはじめ,議会(ぎかい)の内外で鉱毒(こうどく)問題の解決(かいけつ)のためにつくした。1901年には議員(ぎいん)をやめ,銅山(どうざん)の営業停止(えいぎょうていし)を明治天皇(めいじてんのう)に直接(ちょくせつ)うったえている。晩年(ばんねん)は利根(とね)川・渡良瀬(わたらせ)川の治水(ちすい)問題に力をつくした。コーチ わが国における公害(こうがい)反対運動の先覚(せんかく)者である。