江戸時代中期,田沼意次・意知父子が政治の実権をにぎった時代。
〔商人の財力を利用した政策〕
第10代
将軍徳川家治のとき,
田沼意次が
側用人をへて
老中となり,その子
意知が
若年寄となって
権力をふるった
約20年間(1767〜1786年)をいう。
田沼は,商人の
財力を
利用して
印旛沼や
手賀沼(ともに
利根川の下流
域)の
干拓を進め,
蝦夷地(
北海道)の
開拓を計画。
長崎貿易の
制限をゆるめて,
海産物(ナマコやアワビ)などの
輸出を
奨励し,
銅・鉄などを
幕府の
専売とした。また,商工業者に
株仲間をつくることをすすめ,
特権をあたえる代わりに
税をとった。
〔田沼政治のゆきづまり〕
この
政治は,
幕府と大商人の
利益を中心としたもので,わいろが
公然と行われて
政治がみだれ,人々の
不満と反感をかった。また,
江戸の大火・
浅間山の
噴火・
津波・
地震などの
災害がつづき,
天明のききんがおこって,
百姓一揆や打ちこわしがはげしくなるなかで,子の
意知は
暗殺され,
意次は
失脚した。
コーチ
田沼意次が
失脚した
翌年(1787年)から,
松平定信による
寛政の
改革が行われた。