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*てっぽうでんらい【鉄砲伝来】

戦国(せんごく時代,九州の種子島(たねがしま漂着(ひょうちゃくしたポルトガル人が日本にはじめて鉄砲(てっぽうをつたえた。

〔ヨーロッパ人の来航(らいこう

1543年,ポルトガル人を乗せた中国船が種子島(たねがしま鹿児島(かごしま県)に流れついた。日本に来た最初(さいしょのヨーロッパ人であるこのポルトガル人は,鉄砲(てっぽうと火薬を持参(じさんしていた。領主(りょうしゅ種子島時堯(たねがしまときたかはその鉄砲(てっぽう2(ちょうを買い取り,家臣(かしんに使用法と製造法(せいぞうほうを学ばせ,つくらせた。以後(いご,この鉄砲(てっぽう火縄銃(ひなわじゅう)は種子島(たねがしまとよばれる。こうして鉄砲(てっぽうとその製法(せいほうが日本に伝来(でんらいし,(さかい大阪府(おおさかふ)をはじめ,近江(おうみ滋賀(しが県),根来(ねごろ和歌山(わかやま県)などで製造(せいぞうされるようになった。おりから戦乱(せんらんの時代であったので,鉄砲(てっぽう戦国(せんごく大名に注目され全国に広まっていった。

コーチ

 鉄砲(てっぽうを早くから利用(りようしたのは織田信長(おだのぶなが信長(のぶなが鉄砲隊(てっぽうたいが,武田軍(たけだぐんをやぶった長篠(ながしの(たたかいは有名。

鉄砲伝来(てっぽうでんらい影響(えいきょう



(1)戦法(せんぽう一騎討(いっきうちから,足軽(あしがる鉄砲隊(てっぽうたいによる集団戦法(しゅうだんせんぽうへとかわった。

(2)(しろ山城(やまじろから天守閣(てんしゅかくをもつ平城(ひらじろにかわり,(あつ(かべをめぐらす堅固(けんごなつくりになった。

(3)鉄砲(てっぽうの使用で勝敗(しょうはいが早くきまり,全国統一(とういつも急速に進むようになったといわれる。

年代暗記

 鉄砲(てっぽう伝来(でんらい以後(いごよさん(1543)一騎討(いっきう

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