メニュー閉じる

てらうちまさたけ【寺内正毅】

(1852〜1919)明治(めいじ・大正時代の軍人(ぐんじん軍事官僚(ぐんじかんりょう政治家(せいじか。第18代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん長州藩(ちょうしゅうはん山口(やまぐち県)の武家(ぶけに生まれ,戊辰戦争(ぼしんせんそう参加(さんか,その後,大村益次郎(おおむらますじろう推薦(すいせんで大阪兵学寮(へいがくりょうに入り,軍人(ぐんじんとなる。西南戦争(せんそう従軍(じゅうぐんして右手を負傷(ふしょうしたため,陸軍士官(りくぐんしかん学校長,参謀(さんぼう本部局長,教育総監(そうかんなど軍事官僚(ぐんじかんりょうの道を歩み,陸軍(りくぐん整備(せいびに力をつくした。思慮(しりょある有能(ゆうのう官僚(かんりょうとして知られ,桂太郎(かつらたろう西園寺公望(さいおんじきんもち内閣(ないかくでは陸軍大臣(りくぐんだいじんをつとめる。1910(明治(めいじ43)年,韓国統監(かんこくとうかんのときに韓国併合(かんこくへいごうを強行し,初代朝鮮総督(しょだいちょうせんそうとく就任(しゅうにんした。1916(大正5)年,第18代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん就任(しゅうにん官僚(かんりょう出身者のみによる内閣(ないかく組閣(そかくした。実務(じつむには強いが大局観(たいきょくかんに欠け,18年8月にシベリア出兵(しゅっぺいをおこなったが,結果(けっか,国内の物価(ぶっか高騰(こうとう,全国に米騒動(こめそうどう波及(はきゅうして,同年9月,内閣総辞職(ないかくそうじしょく

PAGETOP