どうきょう【道鏡】 (?〜772)奈良(なら)時代末期(まっき)の僧(そう)。河内(かわち)国(大阪府(おおさかふ))の生まれで,出家前の姓(せい)は弓削氏(ゆげし)。孝謙天皇(こうけんてんのう)(のち称徳天皇(しょうとくてんのう))の信頼(しんらい)を得(え)て政界(せいかい)に進出し,藤原仲麻呂(ふじわらのなかまろ)の乱(らん)後,太政大臣禅師(だいじょうだいじんぜんじ),ついで法王(ほうおう)となった。さらに天皇(てんのう)の位(くらい)までのぞんだが,和気清麻呂(わけのきよまろ)らのために野望(やぼう)をくだかれ,天皇(てんのう)が死ぬと下野(しもつけ)国(栃木(とちぎ)県)に流された。