*とくがわなりあき【徳川斉昭】 (1800〜60)江戸(えど)時代後期の水戸藩主(みとはんしゅ)。水戸藩主徳川治紀(みとはんしゅとくがわはるとし)の3男として,江戸(えど)に生まれる。烈公(れっこう)とよばれる。兄の死去にともない,藩内(はんない)の改革派(かいかくは)におされて藩主(はんしゅ)に就任(しゅうにん)。藤田東湖(ふじたとうこ)などを用いて藩政改革(はんせいかいかく)を行い,弘道館(こうどうかん)を建(た)て藩士(はんし)の文武(ぶんぶ)の教育を進めた。1853(嘉永(かえい)6)年,ペリー来航(らいこう)時に幕府参与(ばくふさんよ)として政治(せいじ)に参加(さんか),尊皇攘夷(そんのうじょうい)派(は)として井伊直弼(いいなおすけ)らと対立した。日米修好(しゅうこう)通商条約(じょうやく)調印(ちょういん)に反対し,攘夷(じょうい)の密勅(みっちょく)が水戸藩(みとはん)に下されたことから安政(あんせい)の大獄(たいごく)を招(まね)き,謹慎(きんしん)・永蟄居(えいちっきょ)に処(しょ)せられた。江戸幕府(えどばくふ)15代将軍(しょうぐん)の徳川慶喜(とくがわよしのぶ)は,斉昭(なりあき)の7男。