県名の由来
蜂須賀氏が城をきずいた吉野川河口の三角州付近を徳島とよんだことに由来する。蜂須賀氏の城下町として発展した徳島に県庁がおかれ,県名になった。
県庁所在地
県の面積
県の人口
県の代表的な伝統工芸品と祭り
〔伝統工芸品〕
○阿波正藍しじら織 ○阿波和紙
〔祭り〕
○阿波踊り(徳島市,8月12〜15日) ○神代踊り(三好市西祖谷山村,旧暦6月25日)
位置・地形・気候
徳島県は四国の東部にあり,東部から南部は太平洋に面し,北部は讃岐山脈をへだてて香川県に接している。
讃岐山脈と南の剣山地の間には,四国第1の吉野川が流れ,下流に徳島平野をつくって紀伊水道に注いでいる。吉野川は,上流で大歩危・小歩危などのけわしい渓谷をつくり,中流では支流と合流して扇状地や河岸段丘をつくっている。県の面積の約85%が山地であり,平地は約15%である。
北東部の淡路島との間にある鳴門海峡は,潮の流れが速く,うず潮を発生させることで有名で,多くの観光客がおとずれる。
気候は温暖で,県北は1年を通じて雨の少ない瀬戸内の気候,剣山地の南側は夏に雨の多い太平洋側の気候である。
歴史
昔は阿波国といった。鎌倉時代には佐々木氏,小笠原氏が守護としておさめた。南北朝時代に細川氏が守護となり,ついで,三好氏,松永氏,長宗我部氏が統治した。16世紀の終わりごろ,豊臣秀吉の四国進攻により,蜂須賀氏が阿波・淡路両国の大名となり,明治になるまで約300年間統治した。江戸時代には,特産物の藍や葉タバコの栽培や,製塩業でさかえた。
明治になって,香川県や高知県との合併をへて,1880(明治13)年に現在の徳島県となった。
産業
南部の那賀川,勝浦川流域では稲作がさかんで,北部の吉野川流域では,京阪神に出荷する野菜の栽培がさかんである。米の生産額は,農業全体の13%ほどだが,野菜の生産額は全体の約36%をしめている(2009年)。
畜産では,ブロイラーの飼育がさかんで,その飼育数は全国有数である。
紀伊水道に面した沿岸では沿岸漁業が行われており,ワカメやハマチなどの養殖もさかんで,鳴門ワカメは昔から徳島県の特産物として名高い。太平洋側では遠洋・沖合い漁業でマグロ・イワシなどがとられている。
工業は,食料品・家具などの軽工業が中心であるが,徳島市・鳴門市に化学工業,阿南市にパルプ・製紙工業がある。
観光業もさかんで,鳴門のうず潮と,徳島市の阿波踊りは多くの観光客を集める。
京阪神向けの野菜供給基地
江戸時代から明治時代末まで,徳島は染料にする藍の大産地で,吉野川の中・下流に広がる徳島平野は,一面藍畑であった。20世紀になって藍づくりがおとろえると,クワやダイコンが栽培されるようになり,第二次世界大戦後は,野菜の栽培がさかんになった。
おもな野菜は,シロウリ・レンコン・カリフラワー・ニンジン・ダイコン・ホウレンソウ・ナス・キュウリ・レタス・サツマイモなど,種類も多く,生産量は,レンコンの2位(2010年)をはじめ,いずれも全国でも上位にある。また,スダチやタケノコの生産も多く,特産物として名高い。
これらの野菜の多くは,その地理的条件を生かして,京阪神地域に出荷され,徳島はその主要な野菜供給基地となっている。
出荷はおもにフェリー輸送で行われている。明石海峡大橋の開通によって,徳島市・神戸市間が陸路100分でむすばれ,徳島の野菜生産の条件はより有利になった。しかし,現在のところ,トラックの利用は多くなく,料金が安く,運転者が船内で休息できるフェリー輸送が中心となっている。