*なかえちょうみん【中江兆民】 (1847〜1901)明治(めいじ)時代の思想家。土佐藩(とさはん)(高知(こうち)県)の出身。1871(明治(めいじ)4)年にフランスに留学(りゅうがく)し,帰国後一時役人となったが,まもなくやめ,西園寺公望(さいおんじきんもち)と『東洋自由新聞』を発刊(はっかん)。フランス流の自由民権論(みんけんろん)をとなえ,藩閥政府(はんばつせいふ)を攻撃(こうげき)した。1890年に衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)となったが,自由党(とう)の一部議員(ぎいん)が政府(せいふ)に買収(ばいしゅう)されたのを憤慨(ふんがい)して辞職(じしょく)。また,ルソーの『民約論(みんやくろん)』を翻訳(ほんやく)して『民約訳解(みんやくやくかい)』として刊行(かんこう)し,かれ自身も「東洋のルソー」とよばれた。