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なかそねやすひろ【中曽根康弘】

(1918〜 )昭和・平成(へいせい時代の政治(せいじ家,第71〜73代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん群馬(ぐんま県生まれ。1941(昭和16)年,東京(とうきょう帝国(ていこく大学卒業(そつぎょう後,内務省(ないむしょう入り。45年の太平洋戦争(せんそう終結(しゅうけつ海軍主計将校(かいぐんしゅけいしょうこうとしてむかえる。「戦死(せんしした英霊(えいれいにむくいるため」政界(せいかい入りを決意,47年の衆議院(しゅうぎいん選挙(せんきょ国民民主党(こくみんみんしゅとうから衆議院議員(しゅうぎいんぎいん初当選(はつとうせん保守(ほしゅ合同後の自由民主党(じゆうみんしゅとうでは科学技術庁(ぎじゅつちょう長官(ちょうかん運輸大臣(うんゆだいじん通産大臣(つうさんだいじんなどをつとめた。やがて田中角栄(たなかかくえいとのパイプが太くなり,1970年代から(とう役員を歴任(れきにん,着実に地歩(ちほ(かためた。82(昭和57)年11月,退陣(たいじんした鈴木善幸(すずきぜんこうのあとをうけて自民党総裁(じみんとうそうさい総理大臣(そうりだいじん就任(しゅうにん。トップ・ダウン方式で強力なリーダーシップを発揮(はっきする大統領型(だいとうりょうがた政治(せいじ手法であった。日米関係(かんけい修復(しゅうふく,電電公社・専売(せんばい公社の解体民営(かいたいみんえい化,国鉄民営(みんえい化などを着々と実現(じつげん,高い支持率(しじりつ背景(はいけいに第3次内閣(ないかくまでの長期政権(せいけん維持(いじした。一方,土地利用(りようの指定変更(へんこう・国公有地売却(ばいきゃく狂乱物価(きょうらんぶっか・バブル経済(けいざいをまねく結果(けっかとなった。87年11月,後継(こうけい竹下登(たけしたのぼるを指名して余力(よりょくを残して退陣(たいじん以降(いこう,2003(平成(へいせい15)年に政界(せいかい引退(いんたいするが,党内(とうないで大きな影響(えいきょう力を維持(いじしつづけた。

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