ながやおう【長屋王】 (684〜729)奈良(なら)時代前期の政治(せいじ)家。高市皇子(たけちのみこ)の子で,天武天皇(てんむてんのう)の孫(まご)にあたる。聖武天皇(しょうむてんのう)の治世(ちせい),左大臣(さだいじん)として藤原氏(ふじわらし)に対抗(たいこう)する勢力(せいりょく)をもったが,むほんの疑(うたが)いをかけられて自殺(じさつ)した(長屋王(ながやおう)の変(へん))。コーチ近年,平城宮跡(へいじょうきゅうあと)に近い奈良(なら)市二条大路(にじょうおおじ)南1丁目で長屋王の邸宅跡(ていたくあと)が見つかり,当時の貴族(きぞく)の生活をしのばせる木簡(もっかん)(文字を記した木札(きふだ))約(やく)10万点が発見され,話題となった。