*なまむぎじけん【生麦事件】 江戸(えど)時代末(すえ),薩摩(さつま)(鹿児島(かごしま)県)藩士(はんし)が横浜付近(よこはまふきん)の生麦(なまむぎ)村(今の横浜(よこはま)市鶴見(つるみ)区)でイギリス人を殺傷(さっしょう)した事件(じけん)。1862年8月,薩摩藩主(さつまはんしゅ)の父,島津久光(しまづひさみつ)が江戸(えど)から京都(きょうと)へ帰る途中(とちゅう),乗馬のイギリス人男女4人が行列を横切ったため,警護(けいご)の武士(ぶし)がこれに切りつけ,1人を殺害(さつがい),2人を負傷(ふしょう)させた。幕府(ばくふ)はイギリスに10万ポンドの賠償(ばいしょう)金をはらったが,薩摩藩(さつまはん)ははらわず,翌年(よくねん),イギリス艦隊(かんたい)の攻撃(こうげき)を受けた(薩英戦争(さつえいせんそう)という)。