710〜784年,奈良に都(平城京)のあった時代をさす。天皇を中心とする律令体制がととのうとともに,国家の力は北は東北地方から南は九州南端にまでおよび,都を中心に唐(中国)文化の影響が強い,仏教色のこい天平文化がさかえた。しかし,一方で墾田永年私財法に見られるように,律令制度の公地公民の大原則がくずれ,農民の生活も苦しく,藤原氏を中心とする貴族の対立がはげしい時代でもあった。
コーチ
広義には,
奈良時代の
下限は,その後の
長岡京時代をも入れ平安京(
京都)を
都とした794年までとする。