にしやまそういん【西山宗因】 (1605〜1682)江戸(えど)時代初期(しょき)の俳人(はいじん)。もと肥後(ひご)国(熊本(くまもと)県)八代藩(やつしろはん)の武士(ぶし)であったが,連歌師(れんがし)をこころざして京都(きょうと)に上った。のち大阪(おおさか)にうつって連歌(れんが)(何人もの人が,短歌の上(かみ)の句(く)と下(しも)の句(く)を交互(こうご)によみつづけるもの)の師匠(ししょう)となり,やがて俳諧(はいかい)に転じた。わずらわしい規則(きそく)の多い松永貞徳(まつながていとく)らの俳諧(はいかい)(貞門(ていもん))に対して,自由でこっけい味のあふれた談林派(だんりんは)の俳諧(はいかい)をうちたてた。井原西鶴(いはらさいかく)は,宗因(そういん)のすぐれた弟子の1人である。◇「ながむとて花にもいたし頸(くび)の骨(ほね)」