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にじょうがわらのらくしょ【二条河原落書】

建武(けんむ新政(しんせいが始まった1334(建武(けんむ1)年8月,京都(きょうと二条河原(にじょうがわらに立てられた落書。「此比(このごろ都ニハヤル物,夜討(ようち強盗(ごうとう 謀綸旨(にせりんじ(にせの天皇(てんのう命令(めいれい)……」と始まる文章は,後醍醐天皇(ごだいごてんのうによる建武(けんむ政府(せいふ施策(しさくや世相を風刺(ふうししており,当時の政治(せいじ混乱(こんらんや世相を知るうえで貴重(きちょう史料(しりょうである。

史料

二条河原(にじょうがわらの落書

此比(このごろ都ニハヤル物 夜討強盗(ようちごうとう 謀綸旨(にせりんじ(にせの天皇(てんのう命令(めいれい) 召人(めしうど囚人(しゅうじん) 早馬虚騒動(はやうまからさわぎ 生頸(なまくび(売春(還俗(げんぞく 自由出家(かってに(そうになる) 俄大名(にわかだいみょう(なりあがりの大名) 迷者(まよいもの(路頭に(まようもの) 安堵(あんど 恩賞(おんしょう 虚軍(からいくさ 本領(ほんりょうハナルル訴訟人(そしょうにん 文書入タル細葛(ほそつづら(土地訴訟(そしょう用の文書を入れた細つづら) 追従(ついしょう 讒人(ざんにん 禅律僧(ぜんりつそう 下克上(げこくじょうスル成出者(なりでもの 器用(きよう堪否沙汰(かんぴさたモナク(能力(のうりょくのあるなしに関係(かんけいなく) モルル人ナキ決断所(けつだんしょ雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)……京童(きょうわらんべノ口ズサミ 十分一ヲモラスナリ

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