(1937〜2006)昭和・平成時代の政治家,第82・83代内閣総理大臣。東京生まれ。慶應義塾大学卒業後,急死した父・衆議院議員龍伍のあとをつぎ,26歳で衆議院議員に当選。佐藤栄作のもとから田中派・竹下派と自由民主党の主流を歩み,運輸大臣・大蔵大臣・通産大臣など主要閣僚を歴任。1996(平成8)年1月,村山富市の辞任をうけて,自民党・日本社会党(社会民主党)・新党さきがけの連立政権で総理大臣に就任。同年11月,社会民主党・新党さきがけが連立を離脱した自民党単独政権の第2次内閣を組閣。金融緩和と行政改革をおしすすめ,アメリカ・ロシアとの関係強化にもつとめた。97年のアジア通貨危機,北海道拓殖銀行・山一証券の破綻などに対応の悪さを見せ,97年9月の内閣改造以降,急速に支持をうしない,98年7月の参議院議員選挙で自民党は大敗,責任をとって辞任した。