(1935〜2017)昭和・平成時代の政治家,第80代内閣総理大臣。東京生まれ。成城大学卒業後,10年間バス会社に勤務。1969(昭和44)年,病気で倒れた父武嗣郎の地盤を継ぎ,自由民主党公認で衆議院議員に初当選。85(昭和60)年,第2次中曽根康弘内閣で農林水産大臣として初入閣。91(平成3)年,宮澤喜一内閣では大蔵大臣をつとめる。がんこで信念を貫きとおす政治姿勢で知られ,政治改革に意欲を燃やしたが,政治改革法案成立を断念した宮澤内閣不信任決議案に賛成し,小沢一郎とともに自民党を離党,新生党を結成し党首に就任。93年8月,細川護煕内閣の副総理兼外務大臣に就任。94年4月,細川の辞任をうけて連立内閣の総理大臣に就任。しかし組閣直前に社会党が連立離脱,羽田内閣は少数与党内閣として発足することになる。ようやく予算の成立はみたものの,自民党により内閣不信任案が提出され,6月,在任64日で退陣。その後は新進党,太陽党,民政党などの中心となって政治活動を続け,民主党が結党されると98年,初代幹事長に就任,特別代表,最高顧問などをつとめ,2011(平成23)年政界引退。