(1746〜1821)江戸時代後期の国学者。武蔵国(今の埼玉県本庄市児玉町)に生まれる。5歳のときに失明し,13歳のとき江戸に出て琴やはりを学んだが,のち学問をこころざし,賀茂真淵の門に入り,国学を学んだ。1793年,幕府にねがいでて和学講談所という学問所を開き,弟子を養成しながら,わが国の古書や古記録を集めて分類・編さんする仕事を始めた。1819年その仕事は『群書類従』530巻にまとめられ,さらに『続群書類従』1150巻の編さんも進めたが,完成前に病死。その間,水戸の徳川家にむかえられ,『大日本史』の校正にもしたがった。