はまぐちおさち【浜口雄幸】 (1870~1931)大正・昭和時代の政治(せいじ)家。高知(こうち)県に生まれる。官僚(かんりょう)をへて,衆議院議員(しゅうぎいんぎいん)に当選(とうせん)し,大蔵大臣(おおくらだいじん)・内務大臣(ないむだいじん)を歴任(れきにん)。1927(昭和2)年,立憲民政党結成(りっけんみんせいとうけっせい)とともに総裁(そうさい)となる。1929(昭和4)年に総理大臣(そうりだいじん)となり,緊縮財政(きんしゅくざいせい)の立場から金解禁(かいきん),産業(さんぎょう)の合理化,ロンドン海軍軍縮条約(かいぐんぐんしゅくじょうやく)締結(ていけつ)などを断行(だんこう)。しかしその政策(せいさく)が軍部(ぐんぶ)や右翼(うよく)から批判(ひはん)をあび,1930(昭和5)年東京(とうきょう)駅で右翼(うよく)青年に撃(う)たれ,翌年(よくねん)それがもとでなくなった。◇独特(どくとく)な顔だちから「ライオン宰相(さいしょう)(首相)」とよばれた。