はらじょう【原城】 室町(むろまち)時代後期,肥前(ひぜん)国大江(おおえ)・浦田(うらだ)(長崎(ながさき)県南島原(みなみしまばら)市南有馬(みなみありま)町)にきずかれた平城(ひらじろ)。江戸(えど)時代初期(しょき)まで有馬氏(ありまし)の居城(きょじょう)であったが,1616年松倉氏(まつくらし)が入城(にゅうじょう),1618年に松倉氏(まつくらし)は島原城(しまばらじょう)にうつったため廃城(はいじょう)となった。コーチ 1637年に島原(しまばら)・天草一揆(あまくさいっき)がおこると,一揆軍(いっきぐん)は原城(はらじょう)を修理(しゅうり)して立てこもり,幕府軍(ばくふぐん)をなやませた。