メニュー閉じる

ひがしくにのみやなるひこおう【東久邇宮稔彦王】

(1887〜1990)大正・昭和時代の皇族(こうぞく軍人(ぐんじん,第43代内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん久邇宮朝彦親王(くにのみやあさひこしんのうの第9王子として京都(きょうとに生まれる。夫人(ふじん明治天皇(めいじてんのうの第9皇女泰宮(こうじょやすのみや。1906(明治(めいじ39)年に東久邇宮(ひがしくにのみや称号(しょうごうをあたえられる。陸軍士官学校(りくぐんしかんがっこう陸軍大学校(りくぐんだいがっこう(留学(りゅうがく,1920年,フランス陸軍(りくぐん大学を卒業(そつぎょう。帰国後は陸軍師団長(りくぐんしだんちょう陸軍航空本部長(りくぐんこうくうほんぶちょうなどを歴任(れきにん。一方,皇族(こうぞくの中では自由主義者(しゅぎしゃとして目だつ存在(そんざいであった。1945(昭和20)年8月17日,ポツダム宣言(せんげん受諾(じゅだくした終戦(しゅうせん後の混乱収拾(こんらんしゅうしゅうのため内閣総理大臣(ないかくそうりだいじん就任(しゅうにん最初(さいしょ最後(さいご皇族首相(こうぞくしゅしょうである。陸軍大臣(りくぐんだいじん兼任(けんにんして(ぐん解体(かいたい降伏文書(こうふくぶんしょ調印(ちょういんなどの戦後処理(せんごしょりにあたったが,民主化政策(みんしゅかせいさくをめぐりGHQ(ジーエイチキューと対立,10月9日,54日間の任期(にんき総辞職(そうじしょくした。47年10月,皇籍離脱(こうせきりだつ。その後は露天商(ろてんしょう喫茶店経営(きっさてんけいえい宗教団体教祖(しゅうきょうだんたいきょうそなど気ままなくらしで,おりおりマスコミに話題を提供(ていきょうしながら,1990(平成(へいせい2)年,102(さい(ぼつ

PAGETOP