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*ひがしやまぶんか【東山文化】

室町(むろまち時代中期の文化。京都(きょうと東山(ひがしやま足利義政(あしかがよしまさ別荘(べっそうがあったのでこういわれる。義政(よしまさ応仁(おうにん(らんをよそに別荘(べっそうをつくり,義満(よしみつ金閣(きんかくにならって銀閣(ぎんかくをたてるとともに,芸術(げいじゅつ家を保護(ほごした。そのため,学問では五山の禅僧(ぜんそう宋学(そうがくが,文芸(ぶんげいでは宗祇(そうぎらによる連歌(れんが,絵画では雪舟(せっしゅうらの水墨(すいぼく画がさかんになった。禅宗(ぜんしゅう寺院の書院を取りいれた書院(づくり武家(ぶけ住宅(じゅうたくに用いられ,茶の湯や生け花が町衆(まちしゅう(ちょうしゅう)の間に広まった。

コーチ

 戦火(せんかをさけて地方に下った公家(くげ東山(ひがしやま文化を広めた。

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