*ひらがげんない【平賀源内】 (1728〜1779)江戸(えど)時代中期の博物(はくぶつ)学者・文人。讃岐(さぬき)国(香川(かがわ)県)高松藩(たかまつはん)の足軽の子に生まれ,のちに長崎(ながさき)や江戸(えど)で学び,蘭学(らんがく)者からもいろいろな知識(ちしき)を得(え)た。そして,石綿(いしわた)の応用(おうよう),エレキテル(摩擦起電器(まさつきでんき))の復元(ふくげん),寒暖(かんだん)計の工夫や西洋画・陶器(とうき)の紹介(しょうかい)など,理論(りろん)よりも応用(おうよう)面にとくにすぐれた。しかし,世間からは思うようにみとめられず,その不満(ふまん)を風刺(ふうし)や皮肉(ひにく)をもりこんだ文章や,『神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)』などの浄瑠璃(じょうるり)を書き,また油絵もかいたが,のちあやまって人をころして獄死(ごくし)した。